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耕して十年
健やかに共に耕す幸せを語りつつ今日も畑にいそしむ
穫り入れのたのみのうすきも種を蒔く芽吹くよろこび知りたる二人
畑作り楽しむ夫に気負ひなく覚めて働き疲れて眠る
猟銃肩にわが畠よぎる男ありて視線合はすも黙して行けり
縦横に人参畑荒らしたるもぐら死にをり水槽に落ちて
なめんなよひとりふざけて茄子なめる天とう虫をいくつか潰す
雨降りて人影もなき山畑に灯ともす如くトマト熟れをり
見返りを求めぬ陽光あまねきに我が畑作り結果をいそぐ
照り降りの不足言ひたること忘れトマトの重み掌に受けて?ぐ
天地の恵み凝りたるつくね芋夫と汗して丁寧に掘る
夕さりて時雨るる畑に植え急ぐ折菜冷たしくきくきと鳴る
抜きたての折れ大根の皮むきて鍬持つ夫の口に運びぬ
ふれてみる鋭き刺も小気味良し薊の頭花ぬきんでて咲く
通り雨上がりてしずく樹の陰に著莪ひとときの夕映に会ふ
神供米作ると伝ふ車田は五月の風に早苗さゆらぐ
照り分けて夕陽明るき峽の田にはつはつとして走り穂が見ゆ
古稀われの省みらるる野も山も命豊かに実る季来ぬ
家族とともに
紫蘇もみて染みし両の手宙におきわが仕種みる嫁は素直に
十六夜の月の出見ませと呼びくれし嫁と並びて仰ぐ秋空
いつしかに構へも失せてわれと嫁の自然のままの冬日安けし
二十余年を共に住む嫁古稀祝い類語大辞典を購ひくれぬ
漬梅を喜ぶ末嫁浮かべつつ多目に買ひぬ朝市に来て
低血圧の頭痛に悩むわがために昼風呂たててすすめくるる嫁
娘には教へる時も無きままに我が家の味は嫁つぎくるる
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追 憶
きさらぎの母の忌の日のうすら陽に甘ゆる思ひの身を浸しをり
つかの間の冬至の陽射し身に受けて疾く過ぎゆきし一とせ惜しむ
母さんと呼べと言ひたる少年の兄も逝きたり継母に看取られて
胸張りてスキーをはける写しえの兄少年のまま六十年を経ぬ
病みてわが生めざりし子の幸せに生れかわれよと幸生と名付く
自らの分わきまえて生きたりと小春の光穏しき浴む
インク切れしペンを休めてスペアなきわが残生の刻を思ひぬ
しらしらと光るは霜か月光か眠らぬ庭は夜半を耀う
親のために雪の野麦も越えしとふ若者今はスキーに出でゆく
冬の日の天気予報に執しをり明日あることを疑はずして
欲求のひとつふたつを整理して古稀と向き合ふ平穏得むか
雪深き飛騨人われに鮮らし花咲く伊豆の春の光は
山法師春山被いて咲き乱る旱魃耐えたる種の自衛とぞ
七曲りの峡は新緑飛騨川の多彩の橋は川面に映ゆる
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友
満月の上りて冬空明るしと独居の友に電話をかけぬ
わが孫に赤きリュックを買ひくれし友は一生を嫁がず終わりき
お六櫛をくれたる友は独り生き苦死なき彼岸にはや旅立てり
わが孫の挨拶するをよろこびし子の無き友の静かな笑顔
うすら陽の一枝にさくらの返り花老いの眼こらす命なりけり
奥飛騨へ身心休めにおいでんさい神戸の友に書く夏便り
春に会ふ隣り畑の老媼の呆けしかと思ふ打消して思ふ
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道分灯篭
わが里の道分灯篭に刻まれて和歌は讃ふる飛騨の山々
江戸街道の名残り道分灯篭は灯すことなく時雨に濡るる
註 行列の見事乗鞍かさが岳やりさえ高くふれる白雪
天保壬辰春三月 一三八
菊田 秋宜
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七十路を越えて
つつがなく亡母の齢の倍生きて生かされて今日古稀を迎ふる
空となり無となり写す般若心経心新たに卯年寿ぐ
納め護摩の寺庭に仰ぐ冬空に澄みて浄らな十六夜の月
小雪舞ふお大師の日に夫と来て墓所納めの雪囲ひしぬ
山門の影もしるけき初灯り修正会の心経雪野流るる
大歳の夜を一人聞くイムジン河の調べは胸に沁み透るなり
大祖母の慈悲の心を息子らが受けつぎくくる三十三回忌
老いの日の哀しみ歓び記し来し日記の干支は再び巡り来
古稀前の免許更新五年受く新世紀まで生きて乗らむか
親しみて尺八を奏く夫なり今日の体調測りつつ聞く
よき音と尺八ほむる吾がありて無欲の夫の今朝を足るらし
年の瀬を包丁五本研ぎくれて再び夫の謡ふ声する
夫の奏く尺八の音は月明かりの庭を流るる満州戦車隊の歌
消灯ラッパの調べに終わるハーモニカ満州偲ぶか夫のきさらぎ
老人でないから無しよプレゼント娘の逆説に我が意を得たり
年よりじゃないよと二人の敬老日 雨間惜しみてかぶら種蒔く
わらび採りに夫とわけ入る初夏の山姿見えねば呼び交しつつ
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低山を歩く
衰ふる吾と伸びくる孫の力接する今を登る低山
山下りて出湯に浸るもコースにて子ら露天風呂夫は打たせ湯
戦時中の果たせざる夢子に依りて山に登るを楽しみとしぬ
乗鞍の雲の上流るる即興曲奏者聴衆溶岩に座す
乗鞍の風に浮きつつ秋茜朱の色淡くわがめぐり飛ぶ
乗鞍のエコーラインを下りゆき高天ヶ原の夏を楽しむ
秋深む飛越奥処の有峰湖十二戸沈めて青き静けさ
飛越境の谷間に空を切り写す有峰ダム湖の水面美わし
人口制限逃亡さえも叶はざる国境十二戸ダム湖は抱く
老兄弟が熊飯食みて語り合ふダムに沈みしふるさとの秋
晴れ渡るスカイラインは霜枯れて間近く迫る富士の全容
初春の富士背景の一葉に喜寿なる夫がわが肩を抱く
箱根駅伝のロードドライブわが夢を叶えくれたる夫に謝しつつ
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不覚にも
訪れし庭の小犬に戯れつかれ転倒われのまさかの骨折
失ふは珍しからずも背骨折る古稀の不覚に己れ失ふ
ゆるやかに下るを願いし老いの坂背骨を折りて谷底を見き
したたかに転びて口惜しポストまでの浮かれし吾を我が知る故に
存続を問われて久し国立療養所もみじ大樹の丘に古りゆく
マリーローランサンの色調に似る信濃路のやさしき紅葉に和みて帰る
融雪設備のセールス青年わが門に肩を落として空を見てをり
リハビリ室の負のエネルギーになじみなき付き添ひわれがいたく疲れぬ
夕暮れの診察室より若き医師出てきたりけり口笛吹きて
レントゲンを待ちつつしばし白壁に飛蚊症の眼を遊ばせてをり
脳挫傷の義姉よ覚めよと枕辺に飛騨の民謡今日も流しあり
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すぎゆきの旅
朔太郎文明花袋三鬼才の頌碑の空に寒鴉啼く
さくら花所見散行の一人とてけふ高遠にわれは来りぬ
六文銭を分ちて真田家守りしを佐久の別れの絵図は語りき
広重の絵に画かれて参宮犬 平成の代を尚も歩みて
浅倉の氏族の興亡見しならむ石佛の眼は風化しながら
芭蕉道を辿りてわれの旅終る満ちてみちのく空ゆ見さくる
みちのくは眼下に暮れて残照の薄蒼き空を桟は帰りゆく
さいはての夜空に赤き点となる最終便はいづこに向ふ
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ある日 あるとき
捩花の直に伸び咲く夏盛り与野党ねじれの参院戦暑し
異和もなく小泉さんと歌人万智熱く平易に改革語る
重文の旧家に集ふ処暑の宵蝋の灯かげに名笛を聴く
雨もよひの土間いづくに鳴く虫かリズム保ちて横笛に和す
名人父子鷹の巣立ちの相剋を火花散るごと演じ果てたり
太古より今に生きつぐ銀杏樹の雌雄定かに乱れあらずや
引く糸のあるやなしやに鬼ぐもは飛行巧みに夕風に乗る
あかときのはつか聞きたるかなかなの一声にして後なきはさぶし
須臾の間をさくら嫩葉のくれなゐは花の宴の余韻ならむや
七曲りの谷に沿いたる茶畠に芽吹きを誘ふ川霧動く
乳白色の靄に溶け合ふ虹の色飛騨路に兆す春の朝明
読み疲れ出でたる庭に文字摺りの今しかないと紅よじり咲く
盗まれてその価値知られし円空像知らぬが佛と笑まひて在す
みちのくゆ戻り給える円空さま捉はれのなき笑まひたたえて
里山も国営農地と生まれ変わり今年限りのコスモスなびく
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祭
おぼろなる月の光になづさいて庭の桜木夜半を咲き満つ
わが佇てる卯月の庭のセレナーデ月も桜もともに満ちたり
赤信号が濡るる路上に艶めきて雨暖かき春宵祭り
献灯に掲げる傘のさくら紋濡れて静かな宵祭なる
新調の裃着けし祭り朝蛇の目の傘を持たせて出しぬ
孫は曳き息子は警固の灯をかざす夜祭屋台今動き初む
屋台曳く男の孫天領高山の山王氏子七代目なる
坂の上より見返る屋台の灯がゆれて逝く秋寂し蒼き月照る
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かがり火まつり
村挙げて鎮守に集ふ秋祭り子供も老いも一役持ちて
頭だけの獅子を舞はせて老い人は体が憶えておると笑みたり
御岳の真闇に今しかがり火は血の色なして音に燃え立つ
村おこしの願いをこめて村人のかざす松明白竜の舞
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